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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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歌方も神職さんが勤めます。そういう訳で前項の続き

林檎の庭に引き続き、若宮社でも奉納が行われますが、こちらでは『和舞(やまとまい)』のみとなります。
曲目は、『神主舞前歌」
『神主舞二段 眞榊曲』
『諸司舞三段 眞榊曲』
『諸司舞四段 宮人曲』
『槲酒歌』となっていました。

神主舞二段歌方も舞人も全員がメンバー交代します。
歌方の中心となるコンダクターの役割は『本拍子』といい、笏拍子を打ちながら歌い出しを勤めます。
この声が良く通る方ですと、歌も案外聞きやすいのですが、籠もり気味の声ですとチョッと聞きにくい事もあります。
『和舞』の場合は歌に篳篥、神楽笛、和琴が加わります。

諸司舞四段 宮人曲琴は画像の通り、両側から琴持役の人が支えます。
最初の『音取(ねとり)』を終えて『進歌(すすみうた)』を歌いだしますと、舞人よりも先に歌方の人たちが登場しますが、この時は既に楽を演奏しているので、弾琴も琴持も息を合わせるのが大変そうです。
おまけに和琴の琴柱(ことじ)は、殆ど加工していない枝の叉を使っているそうなので、チョッとした加減ですぐに外れたり倒れたりしてしまうのだそうで。


槲酒歌舞人が動く時に歌われる歌は、他にも『交替歌』や『立歌』があります。
『交替歌』は文字通り、神主舞が終わって舞人が下がり、次の諸司舞のために出てくる時に歌われます。
『立歌』は諸司舞が終わり、『槲酒歌』に移るために舞人が一旦四人共に下がる時に歌われます。

これらの歌の歌詞は、いずれも『続日本紀』に出てきたり、『神楽歌』として歌われていたりするものだそうですが、どうしてそれが使われているのかは良く分かりません。
以前に書いた記事に歌詞を紹介してあったのですが、サーバーがなくなったためブログも消失してしまいました(*_*;
いずれまた、調べてあげたいと思っております。
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幣殿を出る舞人春日大社で『和舞(やまとまい)』が行われるのは、本来は三月十三日の『春日祭』と、十二月十六日の『春日若宮おん祭』のお旅所祭でのみでした。
しかし昭和五十二年に昭和天皇と皇后が御参りに来られた時に、これらの舞の奉納を行い、それを記念して平成四年より、昭和の日(四月二十九日)にも行うようになりました。

諸司舞第二段・梅枝曲『和舞』には二人舞の『神主舞』が四曲、四人舞の『諸司舞』が八曲の計十二曲がありますが。
そして、近年に復曲された『神主舞前歌』と、『槲酒(かしわざけ)歌』が加わりました。
林檎の庭での奉納は、神主舞一曲と諸司舞二曲となっています。

『槲酒歌』二臈『進歌(すすみうた)』で楽人二人の舞人が登場し、一臈と二臈が交互に『神主舞前歌』を歌った後、今回は神主舞の『初段・梅枝曲』が舞われました。
今年の諸司舞の曲目は、『初段・静歌曲』と『二段・梅枝曲』です。
そして最後に『槲酒歌』
確か二年前から行われていたと思いますが、それぞれの舞人が槲(かしわ)の葉を杯代わりに直会の御酒を頂き、四拍手を二度繰り返した後に本殿に一礼して退出します。

『東遊』の舞人、後姿『和舞』が退出すると、楽人のメンバーも替わって『東遊(あずまあそび)』が始まります。
春日での東遊は、子供が奉仕するのが特徴です。

『春日権現験記』の二巻『寛治御幸事(かんじみゆきのこと)』には、白河院の春日大社行幸に際し、舞装束の楽人と共に束帯姿の公卿が、東遊を舞うというシーンが描かれています。
ここに見える楽人らは、当然ながら成人男性ですので、平安時代にはまだ、少年による舞は行われていなかった事になります。

『求子』を舞う子供たちこちらでの奉納は、もっぱら『駿河歌』と『求子(もとめご)』です。
駿河歌一段の最後のフレーズで、四人の舞人が登場し、二段で舞が行われます。
その後に一旦退出し、『加太於呂志音取(かたおろしのねとり)』という曲の間に、右袖を脱いで再登場します。
そして『求子』が舞われます。

四人とも小学生だそうで、舞を覚えるのもたいへんだし、袖も大きく裾を引きずる装束で身動きをするのも一苦労のように見えます。
緊張のためか、途中で舞の手が止まってしまったり遅れてしまったりと、これはこれで興味深く味のある舞になってくれます。

本殿前での奉納が終わりますと、次は『若宮社』での奉納となりますが、『東遊』は行われません。
では、項を替えて後半を……って、また分けるんか?(--〆)?


 
舞人の入場橿原神宮では、4月29日の昭和祭、11月3日の新嘗祭に『久米舞』を奏するということは、こちらでも再三取り上げています。
今年も29日の昭和の日の奉賛祭で、久米舞を拝見してきました。

内院の庭に並ぶ舞人『久米舞』という言葉が最初に見えるのは、どうやら『続日本紀』のようで、天平勝宝元年十二月二十七日、東大寺大仏建立に先立ち八幡神が入京した時に、女帝、太上天皇、皇太后が東大寺に行幸し、この時に“大唐、渤海、呉の楽、五節田舞、久米舞をなさしむ”と見えています。

途中で抜刀します。続く天平勝宝四年四月九日、毘盧舎那仏の開眼供養の時にも、“王臣諸氏の五節、久米舞、楯伏、踏歌、袍袴等の歌舞あり”とあるので、この時にも行われています。

大伴氏と佐伯氏がこの舞を勤めたようで、大伴氏二名が弾琴、佐伯氏八名が大刀を持って舞ったと、職員令の雅楽寮に関する古記録に見えているようです。
ちなみに現在、橿原神宮では四人の舞人によって舞が行われています。


抜刀する舞人朗唱される歌詞は、『日本書紀』の神武天皇即位前期にみえる『久米歌』です。

菟田(うだ)の 高城に 鴫(しぎ)わな張る 我が待つや 鴫は障(さわ)らず いすくはし 鷹(くじ)等障り
前妻(こなみ)が 肴(な)(こ)はさば 立稜麦(たちそば)の 実の無けくを 幾多聶(こきしひ)えね
後妻(うはなり)が 肴乞はさば 斎賢木(いちさかき) 実の多けくを 幾多聶えね


5a169c41.jpeg『参入』から『揚拍子』にかけて、この部分が歌われているようですが、何度聞いても良く聞き取れませんσ(^◇^;)

この後に舞人は抜刀し、和琴の音だけにあわせて大刀を打ち振るいます。
大刀を鞘に収めた後、『伊麻波予』が歌われ、舞人は四人並んで袖をひるがえして舞います。

今は
よ 今はよ ああしをや 今だにも 吾子よ 今だにも 吾子よ

退出する舞人らこの歌詞は、この部分から『退出』にかけて歌われるのですが、やはり全体的に聞き取れません……(-_-;)

神武天皇即位前期には、これらの歌以外にも『久米歌』とされる歌が出てきますが、どうしてこれが選ばれたのか良く分かりません。
いずれにしても現在、宮内庁や橿原神宮で行われる『久米舞』は江戸時代に復興したものだそうで、古記録に見える舞や歌は、室町時代に廃絶してしまったという事です。
 
萬歳楽 さて、昨日の続き……

 舞楽の演目の『萬歳楽(まんざいらく)』も『延喜楽(えんぎらく)』も、おん祭のお旅所祭で行われます。

時間の関係か今回の舞楽は『振鉾(えんぶ)』は省略、まずは左方の『萬祭楽』から行われました。
解説書によりますと、~隋の煬帝が楽正白明達に作らせたもので、鳳凰が萬歳と唱えるのを舞いに表したものといわれている。慶賀の際には必ず舞われる荘重閑雅、品位の高い曲である~と書かれているように、上演機会も多くいので、案外、見た事のある方も多いかもしれません。

まあ、私などが解説をしても要領を得ないでしょうから、いつものように四の五の言わず、画像を上げる事と致しましょう。

延喜楽こちらの『延喜楽』も行われる回数は、かなり多いと思います。
そして、この特徴的な決めポーズ、色々な方の写真で目にするように思えます。

万葉植物園での舞いは、若い方や女性の舞人も多く出演するそうで、『延喜楽』は四人伴に女性でした。
『萬歳楽』も三臈、四臈は女性でしたが、いつもながらに全く違和感なく舞われていました。

胡飲酒胡飲酒そして最後は明治祭でも奉納舞楽として上演されました『胡飲酒(こんじゅ)』、左方の走舞です。
なかなかに勇壮で分かりやすいと言いますか、曲も軽快だし、見ていても面白い舞です。

この日は天気は良かったのですが、風が少々あって寒い日で、『長慶子』が始まった頃に見回せば、先程まで出来ていた後ろの方の人垣は、かなり疎らになっていました。
春日田楽今日は春日大社で『酒殿檜皮葺き替え見学会』の13時からの回に参加しまして、そこで知り合いの方に会ったので、東大寺方面に行った後、正倉院展をようやく見に行きました。
その辺の事は機会がありましたら(^_^;)
そういう訳で、昨日の続きです。

11月3日は毎年、春日大社の『万葉植物園』で舞楽会が行われるのですが、今年は『春日古楽保存会』の創立80周年記念の奉納演奏会が行われました。
この保存会が設立したのは昭和七(1932)年だそうで、雅楽は勿論、おん祭で行われる田楽や細男(せいのお)なども合わせて伝承保存に努め、ここから現在の『南都楽所』が出来たのだそうです。

一臈刀玉今年は管絃の替わりに『田楽』と『細男』が奉納されました。
例年の『春日若宮おん祭』の時には、日が暮れた後に『田楽』は行われ、『細男』の頃にはかなり暗くなっていますので、このように明るい時にこれらの芸能を拝見するのは、かなり稀な事になります。

昨年のおん祭りは『別願の舞楽』を二曲加えたために、一時間くらい早く『お旅所祭』が始められたので、かなり明るい時間に見る事が出来ました。
その時の記事はこちらに(^_^)
今回は更に明るい上に、いつもなら側面や背面から見る芸能を正面から見られるというサプライズです(v^ー°)

『田楽』とは言いますが、舞や軽業を行うというよりも、その振りをするという儀礼的な行為です。
『刀玉』『高足』『一臈刀玉』『立合舞』などが立て続けに行われまして、こちらの画像は『田楽』の『一臈刀玉』、小刀をお手玉のように投げ上げてキャッチする業を披露してくれます。
『立合舞』はシテとワキが並んで口上や謡を口ずさんで、扇をかざして舞います。
いずれも素朴ながら、珍しい芸能と言えるでしょう。

細男座の方々勢ぞろい他に例を見ないというのなら、この『細男』に並ぶものはないそうです。
『細男座』の奉幣も、やはり変わったものなのだそうで、その様子も披露されたのですが、相変わらずの不勉強が祟りまして、何所がどのように珍しい所作なのか全く分かっておりませんσ(^◇^;)

総勢六名が舞台に並び、一例の後に後ろを向き、目から上だけを出して顔を白い布で覆います。
右端の二人が布の下で笛を吹き、真ん中の二人が袖で顔を隠すようにして、舞うというよりも舞台を回るような所作をします。
細男舞 小鼓そして左側の二人は、腰の前に下げた小鼓を打ちながら舞台を回り、次には前に進み出た後、両手で打ち鳴らしながら後退する所作を何度か繰り返したりします。
全体的に妙に地味で静かな舞いなのですが、小鼓の舞だけはかなり面白い動きが見られます。

『田楽』にしても『細男』にしても、おん祭の時以外には基本的、見る事が出来ないので、このような公演は極めて貴重だと言えるでしょう。
ちなみにおん祭の芸能で、他の時に行われそうにないのは『神楽式』くらいでしょうか。
とは申せ、こちらは金春流の方々による三番叟の省略バージョンというところですから、先の二曲程に異例とは言えないかもしれません。

そして、しつこく続く……次はようやく舞楽(~_~)

二人舞装束の御巫さんと御巫長さん春日大社の巫女さんを御巫(みかんこ)と呼ぶのは、奈良県民ならば馴染みがある事かと思います。
その御巫さんのリーダーが御巫長、昨日に行われました『いのちと心の講座』は、御巫長の杉浦翔子さんによる『御巫のお話』でした。
この画像の右が御巫長さんで、おん祭りや神楽始式の時に、一臈の装束を着けて舞っておられる方です。

神護景雲二(768)年、時の左大臣にして藤原氏の氏長の永手(北家・五十五歳)が、御笠山の麓に春日大社を創建したとされています。
この時に御巫さんがいたのか否かは不明で、その初見としては、延喜二十(920)年に藤原忠房の詠んだ歌に
“めづらしき けふのかすがのやをとめを 神もうれしと偲ばざらめや”
とみえまして、『春日の八乙女』が御巫さんの事だろうとされています。

いろいろな御巫装束この後に春日若宮様が出現し(長保五年)、若宮社が建てられますと(長承四年)、『拝殿の八乙女』と呼ばれる御巫さんがお仕えするようになります。
そして若宮祭(おん祭り)の日は勿論、いろいろなシーンで登場して来ます。 
その頃の御巫さんは、身分的にもかなり高かったようで、通勤に馬を使えるような人もいたとか。

室町時代には、若宮拝殿巫女は数十人もいたようで、毎日、御神楽の研鑽に励んでいたようです。
この頃には神主さんはあまり、一般の人の求めでは御祈祷はされずに、御巫さんが祈祷をし、神楽を舞って、託宣をしたという記録がかなりあるのだそうです。

『珍しな』という扇舞が始まります。一番上の画像を見て頂くと分かりますが、現在の御巫さんの装束は、襟を八枚重ねるのが正式だそうですが、夏はやはり便宜性を考えて、普段の装束では二枚襟になっているとの事です。

他にも二人舞装束、御田植装束などもあります(二枚目の画像)
赤いタスキをかけた御田植装束の時は、腰に蛙籠と呼ばれる籠をさげています。
衣被(きぬかずき)を着けるのは、おん祭りのお渡り式で見る事が出来ます。

御巫長さんだけが着る事の出来る一人舞装束は、金糸の刺繍の入った豪華なもので、袴も他の人と比べると引きずるほどの長さになっています。
三枚目の画像の端の方で衣文にかかっている白い方の装束です……が、殆ど見えませんね(゜_゜)

こうしてレクチャーの最後に、実際の社殿神楽を二曲『珍しな』と『皇神』を舞っていただき、今回も滅多に聞けないような裏話も交えての講座を楽しんで参りました。
振鉾第三節四天王寺に所属している『雅亮会』が、舞楽を一般の人たちに公開してくれる機会は、年に数度あるようですが、四天王寺境内では恐らく三度です。
一番大きな法要でもある4月22日の『聖霊会』、そして10月22日の『経供養』、それから昨夜も行われました8月4日の『篝の舞楽』です。
これは毎年、日が決まっているので平日に当たる事が多いのですが、今年はおり良く土曜日の晩でした。

篝の火入れこの『篝の舞楽』は8月9日から行われる御盆の行事の前哨的な儀式と申しますか、舞楽演奏会なので法要は伴いません。
以前はお茶席の御奉仕などもありまして、献茶や献花も行われていたのですが、昨年くらいからはそれも行われなくなっているようです。
何せ、三年に一度、行ければ良い方なので、昨年は行けず、一昨年は確か行ったのですが、イマイチ記憶が曖昧……

左方平舞『承和楽』一番上の画像は、『振鉾(えんぶ)第三節』。
左右の舞人によるこの舞いは、舞台を清めるために必ず最初に行われます。

その後に篝(かがり)に火が入れられます。
最初に直垂姿の方が大きな松明を持って登場し、舞台の前で四方を払うような仕草の後、四人の白丁姿の人たちの松明に点火し、それぞれが舞台下の四隅に置かれた篝に点火をします。
ところが、火の着き難い篝もありまして、最後には三人がかりで火をかざしているのが、二枚目の画像です。

右方平舞『白濱』そして舞楽が三曲行われます。
左右の平舞(ひらまい:四人舞)が一曲ずつ、そして走舞(わしりまい:一人舞)が一曲が恒例です。
今年の曲目は、左方の平舞の『承和楽(しょうわらく)』、三枚目の画像ですね。
舞人は二人しか写っていませんが四人舞です。
次が右方の『白濱(ほうひん)』、蛮絵装束の四人舞です。
面白い事に舞人は、途中で片袖を脱いで後半を舞うというチョッと珍しい曲です。

左方走舞『蘭陵王』何れの画像を見て頂いても分かりましょうが、相変わらずカメラが小さいので、それほど奇麗に写りません。
そういう訳で、ここ最近の傾向としまして、動画を撮って遊んでおりました。

最後の走舞は左方の『蘭陵王』。
その後は、最後の締めとなる『長慶子(ちょうげいし)』に演奏が行われて、本日の舞楽会は終わりとなります。

それにしても、相変わらず伶人の多さにたまげます。
横に20人並んで4列ですから、ざっと80人はいるでしょうか。
御陰で『振鉾』から『蘭陵王』まで、乱声(らんじょう)が騒がしいの何のってσ(^◇^;)
ここ最近は『南都楽所』ばかりでしたので、久々に『雅亮会』の演奏を見聞きしますと、かなりギャップがあって面白いです。
 
敷手どうも記事がズルズルと長くなるのが嫌いなので、何となくまた分けてみました。

今年は『走舞』はなく、最後も右方の平舞です。
昨年の『春日若宮おん祭』の別願舞楽としても行われた『敷手(しきて)』です。
何でこういうタイトルがついているのか、不勉強で分かりませんσ(^◇^;)
こちらも舞人は四人共に女性です。
最近の南都楽所、右方でも左方でも、女性が舞う機会が多いように思えまして、これはこれで結構良いかと思います。

『敷手』

再三に与太を申しますと、私は蛮絵装束というのがかなり好きでして、こちらの右方の青い袍は特に綺麗だと思います。
そして画像を御覧頂ければ分かりますように、この舞では最初はきっちりと着ていた袍の右袖を途中で脱ぎます。
襲(かさね)装束でも蛮絵装束でも、片袖を脱ぐスタイルというのは視覚的にも変化があって、これまた好みです( ̄▽ ̄)。o0○
同じ肩脱ぎするにしても、演武会なんぞでオジサンがやるのとは全く趣が違いまして、あっちは颯爽としていても色気はありませんな……などと戯言ほざいてると、関係各位から白い目が向くでしょうが(^_^;)

菖蒲祭奉納舞楽『散手』『走舞』が行われませんでしたので、午前中の『菖蒲祭』の最後に奉納されました『散手(さんじゅ)』の画像でも。
そういえば、この舞もどうして『散手』というタイトルなのでしょう……神功皇后の新羅出兵に際して現れた率川明神(いさかわみょうじん)の姿を舞にしたという伝承は聞いた事があるのですが。
この日は天気が良くて気温も高かったので、この装束で舞うのはかなり大変そうに見えました。
最後の方、心なしか足がもつれて裾を捌ききれていなかったような……とにかく、この舞自体が結構ハードですからねぇ(゜.゜)
胡蝶昨日の続きを……と行きたい所なのですが、ネットなのかPCなのか、かなり調子が悪いです。

さて、何所まで行きましたっけ?
え~と画像は『胡蝶』ですね。
右方の童舞で、四人ないし五人で舞う事が多いですが、この時の四人の舞人は全員が女の子でした。
胡蝶 後姿本当に一昔前(いや、二昔前だな)に比べると、どちらの楽所も女性が増えました。
童舞では天冠を着けて花をかざしますが、このスタイルには長い結った髪が似合うように思えます。
天王寺楽所では男の子も顔を白塗りにして付け髪もして、稚児舞の趣で聖霊会などでこれらの舞を行いますが、女の子ですと、まぁ、自然体(?)で出来るのが良いですね?(゚_。)?(。_゚)?

打毬楽子供の日恒例の童舞が終わりますと、大人の舞人が登場します。
打毬楽(たぎゅうらく)
裲襠(りょうとう)装束に巻纓冠、老懸(おいかけ)というスタイルですですから舞人は武官なのですが、持ち物は太刀でも槍でもなく毬杖(ぎっちょう)で、打毬というホッケーのようなゲームを舞で表しています。
このゲーム、奈良時代にはかなり流行したそうで、仕事中にも行っていたのがバレて、処分や禁止令まで出たと記録に見えておりますσ(^◇^;)

打毬楽
現在では四人舞ですが、かつては八人や十人どころか数十人で舞う事すらあったとか……
途中で一臈 が懐中から縞模様の毬を取り出して、様々な方向から打つ所作をするのが、変化もあって見ていてなかなか興味深いです。
また、この一臈の方が颯爽としていて実に見栄えが良かったです(^_^)v
実はこの部分、ずっと動画で写していましたので画像がありません(-_-;)
昔々は、舞人が一人一人、この所作を行ったとかで、四人でもかなりかかるのに数十人もいたらどうなるんでしょう……日が暮れますわ( ̄▽ ̄)。o0○
ちなみに最後は四臈が毬を握って退出します。
振鉾第一節連休の前半には、今年の子供の日には京都の藤森神社の御祭りに行こうかな~と、緩~~く考えていたのですが、四日の晩に軽く熱(要するに何とかがひく夏風邪ですね)が出たみたいで、あっさりと遠出は諦めましたσ(^◇^;)

そして出かけたのが、割合に近所と言いますか、私の徘徊場所の一つ、奈良市の春日大社です。

振鉾第二節この日は毎年、午前10時から御本社で『菖蒲祭』が行われ、午後1時からは萬葉植物園で『萬葉雅楽会』が行われます。
今年は管絃(『傾盃楽急(けいばいらくきゅう)』)に加えて、朗詠(『嘉辰(かしん)』)も演奏されまして、変化があって良かったです(^_^)v
何年か前に雨で、室内で行った時にも『嘉辰』を聞いたような気がするのですが、別の時だったかな?

ともあれ、舞楽の画像はいつものように『振鉾(えんぶ)』の一節と二節、時間の都合か第三節は省略されました。

迦陵頻ここ何日かに打って変わって、とても天気の良い日で夏日、舞人はかなり大変だったと思います。
何せ舞台は池の上に張り出しで設けられていますから、眩しいのではないのかな?
それでも時折、弱いとは言いがたい風が吹いてくれるので、多少はマシなんでしょうか……かえって煽られるから大変なのかな?

迦陵頻この『迦陵頻(かりょうびん)』の舞人は、見るからに小学生の男の子、翼に背負われている様な小柄な子もいましたから、強い風は大敵かも知れません(^_^;)
でも、今年もきっちりと舞って去って行きました?
もしかして四人とも、この前、『東遊(あずまあそび)』を舞ってくれた子供たちかな?




先ほどまで寒冷前線の通過なのか、外は雷(放電しているだけで、落ちている様子はあまり見られませんでしたが)と驟雨でにぎやかでした。
ようやく静かになったようなので、そろそろ出かけますか……
では、続きは後ほど(^_^)/~ (ーー;)

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