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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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和舞 諸司舞六段 宮人曲日曜日(四月二十九日)の和舞(やまとまい)の奉納です。
和舞に関しては、今までも何やかやと聞きかじりの薀蓄を垂れておりますので、この度は画像だけでもσ(^◇^;)

東遊 求子昨年までは中学生くらいの子が、一臈と二臈を勤めていたのですが、今年は全員が小学生くらいです。

和舞 神主舞四段 計歌林檎の庭での奉納が終わりますと、若宮社でも和舞の奉納が行われます。
曲も舞人も楽人も替わりますが、最初の『神主舞前歌』と最後の『槲酒歌(かしわさけうた)』は行われます。
そういえば、この二曲の画像がありませんね……

和舞 諸司舞八段今年はこっちでも動画を撮って遊んでおりましたので、割合に画像は少ないです( ̄▽ ̄)。o0○

そういえば、消滅した旧ブログに書いていた分の解説でも、その内に気が向きましたら上げましょうっと(-_-)
さて、明日は下鴨神社の流鏑馬だな、雨は大丈夫でしょう??(゚_。)?(。_゚)??
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外院の庭で行われる久米舞今年も連休は遊び倒すかと、昨日も今日も奈良におりました。
昨日は『奈良ひとまち大学』で、橿原市出身の彫刻家(仏師)の吉水快聞さんの話を聞いておりました。
名前は何度か聞いた事があったのですが、この方、植山古墳の近くの御寺の息子さんだそうで……

それはともあれ、本日も春日大社でレクチャーの後、『和舞(やまとまい)』と『東遊(あずまあそび)』を観賞してまいりました。
と申しましても、今日の午前中は橿原神宮の『昭和祭』がありまして、今年もしつこく『久米舞(くめまい)』の奉納を見に行って参りました。

相変わらず見学者はあまり多くありませんで、何やら寂しい気も致します。
確かに『昭和祭』という神事は、かなり地味ですので(一般的に神事は地味です……(-_-))、御参りに来た方々も何か御祭りをやっているね、と覗く程度で通り過ぎてしまいがちです。

久米舞この十年くらいの間で『雅楽』は多少ともメジャーになりましたが、『国風歌舞(くにふりのうたまい)の知名度はあまり高くないようです。
『東遊(あずまあそび)』ならまだしも、『和舞(やまとまい)』や『久米舞』なんて、この辺以外じゃ宮内庁でしかやらないような……
『御神楽(みかぐら)』に至っては……人長舞(にんちょうまい)や浦安舞くらいなら、結構目にしますか?

それにしても毎年、代わり映えのしない画像で申し訳ありませんm(__)m
加えて今年は、やたらに動画ばかりを撮って遊んでおりましたので、画像はチョイト少なめです。
過去の記事にも下手くそな画像が幾枚か上げてありますので、ご参照頂ければ幸いです……って、変わり映えしないんですけどね・゚・(ノД`;)・゚・
http://umena.blog.shinobi.jp/Entry/1140/
http://umena.blog.shinobi.jp/Entry/1011/
http://umena.blog.shinobi.jp/Entry/909/

 
御廊と神職今年の『舞楽始式』は1月9日でした。
時間は13時からなので、成人式が終わった晴れ着の若い人が多いかと思いきや、毎年、それ程の人数は見ません。
やはり着物で、あの長い参道は大変なのかな?

それはともかく、今年はまた、見学場所が『直会殿(なおらいでん)』になりまして、更には昨年と同じ『林檎の庭』の東側にも椅子席が設けられました。

管絃到着したのが12時半より前だったのに、既に直会殿には結構な人が入っておりまして、その後に用意された椅子席に移った人が多数いましたが、一時間程度の正座は苦にならないので、直会殿の方に大人しく座っておりました。
おかげで、案外、見やすそうな場所には陣取れましたが(~_~)

まずは、今年も無事に雅楽の奉納が出来ますようにと、法要が行われます。
そして、雅楽の奉納となるのですが、今年は昨年までと違いまして、管絃が二曲演奏されました。

壱越調(いちこつちょう)音取
(ねとり)の後、『新羅陵王(しんらりょうおう)』と『胡飲酒(こんじゅ)(は)』だそうですが……実は聞いていて、殆ど何の曲なのか分からない・゚・(ノД`;)・゚・ お主、四半世紀も見聞きだけはしているというに(ーー;)

振鉾 第一節振鉾 第二節ところが舞楽の開始という時になって、空模様が怪しくなりまして……東側で見ている人たちが傘を差し始めました。

伶人方々は幣殿(へいでん)に移動……舞は?
やはり幣殿で行うとの事で、見学場所を少し移動、そのお陰で更に見やすい場所に移れましたが、外の席にいた方々は幣殿の軒下に移動?
私としては何と申しますか、かたじけなさに涙こぼるる……?(/_;)?

それにしてもですよ、振鉾(えんぶ)の一節だけでもこういう状況ですから、三節目は殿内に収まるの、それよりも平舞になったら四人ですよ(゜.゜)

春庭歌春庭歌(しゅんていか)』と『落蹲(らくそん)
さてどうなりましょう(・.・;)
と、『春庭歌』が始まりました。
どうやら雨は上がったようで、嬉しい事に舞人は林檎の庭へと入って来ました。

この舞は昨年(一昨年だったかな?)の『子供の日の万葉雅楽会』でも行われまして、その時にかなり気に入りまして、再演が実に嬉しい次第です(^_^)v


春庭歌春庭歌
毎度ながらにほざきますと、私は得てして蛮絵装束が(視覚的に)好きでして、片袖を脱ぐスタイルが更に好みです。
そして画像を御覧頂ければ分かるように、巻嬰の冠のかざしは桜、更に珍しい事にこの舞人は太刀を佩いています。
これがどうしてなのか、大いに興味をそそります。
そして最後に、このように本殿に向かって拝礼をするのがとても優美でした。
少し後ろで女性が二人、「源氏物語に出てくる舞って、こんな感じなのかしらねぇ」と話しておられましたが、多分、当たらずとも遠からじ?

落蹲落蹲そして『落蹲
これも春日若宮おん祭の最後の舞ですから、本当に度々目にする機会も多いです。
そして今年は辰年ですから、二匹の龍の舞という事のようです。

途中で少しだけ時雨れてきましたが、今年もありがたく拝見して参りました。
というか、途中の時雨のお陰でかなσ(^◇^;)

さあ、次は節分万燈籠、金曜日だと思うけれど行けるかな( ̄▽ ̄)。o0○



 
講師の藤岡禰宜この長いタイトルが、先日(10月30日)の春日大社で行われました『いのちと心の講座』です。

ここで何度もほざいていますが、私は雅楽の類は四半世紀、見聞きだけはしておりますので、中途半端な知識ならば一般の方々よりは多少あると思っています。
ただし、こういう場合は間違ったままで覚えている事も往々にしてあるものでして……

その一つが『管絃』と言う言葉と文字です。
狭義で雅楽と言った場合、この『管絃』をさす訳ですが、決して『管弦』ではありません。
雅楽で使用される絃楽器は、楽琵琶楽箏、どちらも絹糸の絃が使用されているので糸偏の『絃』を使うのだそうです。

着付けは二人で行うのが常だそうです。普通に管弦というと、これはヨーロッパから入ってきた管弦楽(オーケストラ)のこと、ヴァイオリンやチェロの弦は動物の腸などを加工し、馬の尾の毛でできた弓で引くので演奏法からして違います。
今までの戯言を見てみると、十中八九どころか十まで、管弦の文字を使っているかもσ(^◇^;)

今回の講座はこのような基礎知識や歴史から始まりまして、襲(かさね)装束の衣紋の実演の後に、タイトルの示すように赤(左方)と緑(右方)の舞人が一緒に登場する『振鉾(えんぶ)』を見て下さいという運びとなります。

衣紋を見ておりまして今更に気づいたと言うか、今まであまり気に留めていなかったのが、下襲(したがさね)の裾(きょ)の事です。
舞楽『振鉾』第三節以前にどこかで、平舞の装束の裾には裏地があるけれど、走舞の装束にはない云々と書いたような気がするのですが……裏地は下襲にある訳でして、袍には裏地はありません。
要するに襲装束での舞を見ていて、裏地云々と言っていた訳です……我ながら意味が分かっていないような事を書いたんですね(-_-;)
あと、忘緒(わすれお)は左側に垂らすとか(何せ袍を着けてしまうと見えないので)、石帯(せきたい)の構造も初めて知ったような……

そして実際に舞を見てみましょうという事になるのですが、これも聞かなければ気づかない事も多々あります。
左右で最初に出す足が違うとか、出手を舞った後の一ろう(字が出ません・゚・(ノД`;)・゚・)以下の舞人のポジションの取り方が違うとかの類は見ていて分かるのですが、細かい動作の違いなどは、教えてもらわなければ個人の癖の範囲と思ってしまいがちです。

『振鉾』第三節綺麗に左右の舞人の動きが合っていると、本当に見ていても気持ちが良いものです。

三方楽所が解体された明治維新以降、楽家のエリートの方々が宮内庁の所属となってしまい、南都でも天王寺でも京都でも、本来の楽家以外からも継承者を募るようになったそうです。
南都楽所(なんとがくそ)の心得の一つに、伝統をそのままに継承するという事があるそうですが、これこそ一番大事で一番難しい事なのかもしれません。
 これらの舞や楽の萌芽の見られた中央アジアや中原、東南アジア、朝鮮半島でも既に失われた伝統を千数百年に亘って継承して来たのですから、携わって来た方々には思うにつけ低頭致します。
ここ最近、これらの組織出身の方が新しい試みをされて、それが一般の耳目に膾炙する事によって変な勘違いが生まれているように思えるのですが、こちらに関心を示されてそれなりの発言をする人達にこそ、本来のものに触れて欲しいと思うのですが……これを関東の知人に言うと怒られるんだよなぁ、奈良や大阪みたいに簡単に見に行ける物じゃないって(゜.゜)
蘭陵王納曾利

それにしてもボケてるし色も飛んでいるような画像ばかりですみません。
コンパクトデジカメしか持っておりませんし、舞殿に乗り出すみたいに(マナー悪く)写している人の真似はしたくなかったので、大人しく自分の席から写しておりました。

走舞は四曲、最初は左方の『蘭陵王
拝見するところ舞人はまだ、この舞の練習を始めたばかりという感じで、これから次第に上手になって行くのだと思います。
最後の方、一寸スタミナ切れでしたか、御疲れ様でした……という感じです。

そして番になる舞は『納曾利(なそり)』、女性の舞手のようでしたが、この方は慣れた感じですね。
最近は何処の楽所も女性の参加が多いようで、『納曾利』が女性によって舞われる事も多々ありますが、なかなか切れの良い舞を見せて頂けるものです。

抜頭(童舞ヴァージョン)落蹲

抜頭(ばとう)』の童舞ヴァージョンは、こちらの定番なのでしょうか、今日も美人姉妹(なのかな?)が舞台に登場されました。
しかしこのヴァージョン、急の部分が無いので、テンポの良い曲調に乗って聞いておりますと、あれっ?というところで入手になって、舞人退出となってしまいます。
こいつを頭に入れておかないと、軽い消化不良を感じてしまいますわ……次に見た時も、また忘れていそうな気が致しますが( ̄▽ ̄)。o0○

南都における『落蹲(らくそん)』は二人舞、この度の舞人は男性と女性なので、少々身長差がありましたが、案外綺麗に揃っている様に拝見いたしました。

氷献灯……かなり溶けてきました。それにしても、何曲あるのかも知らないままに、チョイト覘くつもりが、しっかり最後まで見学してしまいました。
『長慶子』に乗せて『撤饌の儀』が行われる頃には、既に21時を回っておりました。
宮司さんが、「参列の方々もお手伝い頂ければ幸いです」と言われたので、こうなると臆面も無く参加してくるのが常……供物やら御幣やら御祝儀などを次々と手渡しで神前からひきあげ、
「今年も無事、お祭を終える事が出来ました」と、宮司さんや氏子の方々と御礼を言い合って境内から出る頃には、灯された『氷献灯』もかなり溶けて、氷の容器も薄くなっていて、更に透明感が増して綺麗な光を見せてくれました。

それにしても、寒かった~~(*_*)


ところで……どうでも良いのですが、ついにセカンドページ(最初はメインページ)が跡形も無く消えているようです。
おかげでこのブログ内に貼ったリンクも、完全無効みたいです。
時々、一週間くらい消えては、また復活しているような状況が何度もありましたし、放って置くとスパムの温床になるだけなのに、サーバーもまったく対応する気が無い状況が何年も続いていたので、いっその事、消えてくれて帰って清々しいと思える次第です。
外付けのハードディスクのどこかに、記事や画像の一部が残っているはずなので、その内引っ張り出して再録でもしようかしらねε-( ̄ヘ ̄)┌
振鉾一節私は舞楽の類は20年以上見ておりますが、こちらの具体的な知識となりますと、正式に勉強をした事がないためはっきり分からない事も多いので、もしかしたら間違っているかもしれません……という前置きの言い訳をまず陳べましてσ(^◇^;)、チョイト解説なんぞ。

現在、畿内だけにとどまらずあちらこちらで寺社などが中心となって、祭礼のためなどに楽所を置いているようですが、江戸時代までは幕府の管理の下に『南都楽所』、『天王寺楽所』、『京都楽所』の三方楽所が置かれていました。
これが明治時代になって幕府の援助が受けられなくなりますと、それぞれの楽所の人たちは東京に行き、現在の宮内庁雅楽部に所属する事になり(勿論、リストラも行われているはずですが)、奈良も大阪も京都も活動があまり出来ない状況となってしまったようです。
しかし奈良と大阪は、中心となる春日大社四天王寺で今現在も、盛んな活動を続けています。
本来の南都楽所は、こちらの『氷室神社』に本拠があったそうで、それを受けてここでも『南都晃耀会』という組織を結成して活動を行っておられるそうです。

万歳楽延喜楽

では、昨日の続きでも。
19時前くらいから舞楽が始まりましたが、最初はセオリーどおりに『振鉾(えんぶ)』が行われます(時間の関係か、三節目は省略)。
そして続いて左方平舞の『万歳楽(まんざいらく)』、左の写真ですが、この楽所では女性ががんばっておられるようで、一臈以外は女性でした。
続いて番舞(つがいまい)になる右方の『延喜楽(えんぎらく)』、題名の通りに平安時代に日本で作られた舞です。

賀殿登天楽

そして次が『賀殿(かてん)』なのですが……この画像を見る限り、『万歳楽』と見分けがつかない??
今までも二度ほどこちらの楽所の『賀殿』を見ているのに、どうして気がつかなかったのか我ながら不思議でたまらないのですが、今回見ていて、舞人が舞台に上がった時、
「何で両袖脱いでないの、賀殿なのに?」という疑問が真っ先に出てきてしまいました。
他の楽所と装束の着方が違うんですよ、つまり。

こいつは番舞の『登天楽(とうてんらく)』にも言える事でして、四天王寺の『雅亮会』などでは右袖を脱いだ姿で舞っていますが、こちらや春日大社の『南都楽所』では脱いでおりません。
まあ、楽所によってさまざまな箇所での違いは、往々にしてある物なのだそうで、それを明治維新以降の宮内庁では、統一させるのに一苦労あったと聞いた事があります。

では明日以降は、走舞(わしりまい)なんぞを……しつこく続く(゜.゜)
 
夕座の儀本殿前に置かれた神輿

氷室神社の御祭神は闘鶏稲置大山主命(つげのいなぎおおやまぬしのみこと)、『日本書紀』の仁徳天皇62年の条によりますと、天皇の弟の額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ)が都祁に狩に行った時、大山主命の管理している氷室を見せられ、この後より氷の献上をするようになった云々と書かれています。
現在は三間社流造の御社に、上記の人々を三柱の神として祀っています。

東遊と楽人たち氷室神社の祭といいますと、5月1日に製氷業の崇敬者を中心に行われる『献氷祭』が有名ですが、一番重要な『例大祭』は10月1日に行われます。

前日に『宵宮祭』、そして『本宮』は午前11時から『朝座の儀』が行われるようですが、私は17時からの『夕座の儀』から拝見してまいりました。
そして18時からは『東遊(あずまあそび)』の奉納が行われます。
私は春日大社で行われる子供たちによる『東遊』しか知らないので、詳しい知識はあまり無いのですが、ここで行われたのも『駿河舞』と『求子(もとめご)』なんでしょうか?
舞人の装束も色などが少し違い、太刀には錦らしい鞘袋もつけられていました。
楽人は高麗笛、篳篥、笏拍子、歌人で、弾琴はいませんでした……一寸、寂しいかも(;_;)

3d13fe03.jpegところで最後の方、笏拍子が1/2拍以上ずれていたように聞こえたのですが、やっぱり気のせい……本来、こういう拍子なの??(゚_。)?(。_゚)??
それはともかく、かつて例大祭には興福寺の南門前に御旅所が設けられ、この舞はそちらで行われたのですが、交通事情などによって今では境内の舞殿で行うようになったという事です。

さて、境内では『夕座の儀』が終わった辺りから、恒例(今年に限り、毎月1日に行っています)の『氷献灯』に火が入れられ、『東遊』の終了した19時前にはこのように見事に映えていました。

この後、舞楽奉納と相成るのですが……続くσ(^◇^;)


 
浦安舞の舞姫たちお盆の迎え火を焚いたら、さて三嶋大社のお祭りだと、八月十五日から十七日までの三日間、静岡県三島市は祭り一色の様相となります。
子供の頃には家族で出掛けたものですが、今じゃ、人込みがかったるいと、誰も出掛けやしない……
それでも私や弟のように地元を離れて久しいものには、何となく懐かしいのか、わざわざ電車に乗って見に行ったりもします。
何せ大社前のメインストリートは時間によっては完全通行止め、近くで駐車場を探すのも殆ど不可能な状況となります。
特に十六日の『頼朝旗挙げ行列』は、毎年芸能人が頼朝公に扮するので、通り過ぎるまで境内の外にも出られやしない有様です。
まあ、この写真もいくらか撮ってきましたので、気が向きましたら改めまして。

神職による人長舞この一番混雑する十六日に私がわざわざ出掛けたのは、舞殿(まいどの)で行われる御神楽(みかぐら)が見たかったためです。
御神楽は地方でも格式の高い神社では祭礼の時に行われるようでして、伊豆一ノ宮たる三嶋大社でも、画像のように『人長舞(にんちょうまい)』と『浦安舞(うらやすのまい)』が行われます。

人長とは平たく言えば、御神楽式をリードする役目でして、本来ならば宮司によって式典の最初に任命されます。
そして人長が楽人や舞人を任命して、御神楽が始まるという流れになりますが、このような本格的な御神楽式を行う神社も限られているので、殆ど見る機会はないそうです。
確か鎌倉の鶴岡八幡宮では、冬の寒い時期に行われるようですが、関西ではチョッと例を知りません。
一番の本家本元の宮内庁では、原則未公開、余程の機会でないと一般が目にする事もないと聞いています。

殆ど見た事がないので、こちらに関して私は全くの無知です。
確か単独で行われる人長舞の曲は、たいてい『其の駒』だったと思うのですが……・
歌の内容は、私の愛馬が草を食わせろとねだるから、草と水をあげました……なんちゅうか、身も蓋もない表現ですみません(^_^;)

『浦安舞』の鈴舞、本装束で舞います。浦安舞』は案外、あちらこちらの神社で奉納される機会も多いので、目にされた事のある人も少なくないでしょう。
明治以降に作られた神楽では、もっともスタンダードに行われる舞だそうです。
もっとも、関西の歴史のある神社では、社伝の御神楽がしっかりと受け継がれているせいか、この舞の奉納は行われないのかもしれません。
奈良でのその典型が春日大社でしょう。

この舞には略式もありまして、装束もこのようなあこめ装束ではなく、裳も着けない裾の短い略装束の場合も多く、舞姫も一人ないし二人になる事もあります。
そういう訳で、三嶋大社の大祭での舞いは本装束の四人舞ですから、本式という事になるそうです。

これらの神楽は、大祭の三日間に三度くらい舞われるそうですが、興味を示される人があまり多くないようで、見ている殆どが写真を趣味にされている人や、舞姫や楽人らの知り合いの人のようです。
何か、滅茶苦茶、勿体無いような気がしますわ……春日大社で社伝神楽の奉納があれば、結構な人が来ているような気がするのですが。
いや、あちらもやはりカメラマンと身内がメインかしらねぇ……?
 

昨日に行われました奈良市の氷室神社『献氷祭』で、舞楽奉納を今年も見てきました。
曲目が昨年とまったく同じなのですが、これは祭の通例として決まっているのでしょうか、それとも舞人や練習している曲の都合なのでしょうか?
何となく、後者のような気がしないでも……

さて、何とも珍しかったのが、今年の『振鉾(えんぶ)』は一節、左方しか舞われなかった事……
昨年は三節行ったのかな、それとも三節のみを舞ったのでしょうか、残っている写真では左右の舞人がちゃんと写っているのですが??

登天楽ともあれ、その次が『賀殿(かてん)』左方の平舞です。
一臈の方が振鉾の舞人と同じ方、装束が同じですから鉾を置いてすぐ出る事は可能でしょうが、なかなか大変そうです。
二~四臈は女性でしたが、これは昨年も同じでしたかね。

続いてこちらの画像、『登天楽(とうてんらく)』右方の平舞ですね。
今年も小学校の高学年くらいの男の子が一人加わっていました。
舞はまぁ、なかなか様になっていたようですが、途中で演奏がずれていたように聞こえたのは気のせい(^^ゞ

抜頭・・童舞ヴァージョンそして今年も、女性二人による童舞ヴァージョンの『抜頭(ばとう)』左方走舞です。
私はこの舞が少々苦手でして、ひざまづいて這いずる様な動きを見ていて、何か重苦しくなってくるのですが……このヴァージョンは良いです。
舞人が若い綺麗な女性というのも、かなりのプラスポイントですが、二人並んで対称のポジションで舞ってくれると、変化が大きくて見ていてとても楽しいです。
あのぶっとい眉毛に吊り上った目をむいて、歯を食いしばった真っ赤な面の舞とは、全然別物で軽やかに優美な印象ですね。
お二人とも同じ苗字の方なので、もしかして姉妹でしょうか?

納曽利最後の舞は『納曽利(なそり)』右方走舞です。
画像が暗くてすみません……

ところで走舞の舞人に妙に感心したのが、裾捌きが巧い事です。
後ろに長めの裾(きょ)をひきますので、これを巧く捌きませんと、踏んづけて躓いたりしますので、学生サークルの舞などを拝見すると時々ハラハラします(~_~;)
その辺、南都楽所(春日大社)や雅亮会(四天王寺)の方々は心配する必要ありません……でもない?

『納曽利』の方は特に上手に思えましたが、『抜頭』のお二方も見ていて気になりませんでしたから、綺麗に捌いていたのでしょうね。
まぁ、走舞の装束の裾は単で裏地が無いようですので、それ程絡まないのでしょうか?
先日に見ていた『和舞』や『久米舞』は裏地があるようで、その分重いのでしょう、見ているとだんだん捩れてくるんですね……撥ねたり走ったりはしない舞ですから、これでも大丈夫なのかしらねぇ(゜.゜)

こちらの楽所でチョッと良いなぁと思ったのが、舞台から退出する時の仕草。
一瞬立ち止まって胸を張り顎を少し上げた後、軽く頭を下げる様子が、特に女性がやると可愛いらしかったです(*^。^*)
何やら見慣れてきますと、変なところを見るようになって来ました……σ(^◇^;)

神主舞初段
昭和の日に和舞(やまとまい)と東遊(あずまあそび)の奉納を始めたのは平成三年からだそうで、今年で既に二十年めにもなるそうです……私が知ったのは昨年・゚・(ノД`;)・゚・
切っ掛けは、昭和五十四年に昭和天皇、皇后両陛下が春日大社を参拝され、これらの舞を御覧になったためだとの事です。

二十年めの節目に当たって、今回は『神主舞前歌(かんぬしまいまえうた)』と『槲酒歌(かしわさけのうた)』が復曲され、昨年以上に楽しませて頂きました。

『諸司舞二段』
音取(ねとり)』と共に地方(じかた・歌方とも)が林檎の庭に出て来て、『進歌(すすみうた)』で二人の舞人がポジションに着きます。
そして笏拍子(しゃくびょうし)を打って『前歌』を歌った後、『初段』の舞が行われました。
これが上の画像でして、『初段』の舞の最初はこのように、神前に参拝する所作から始まっています。
『神主舞』は四曲あるのですが、この舞は多分、初めて拝見しました。

『神主舞』が終わると『交替歌』で退出し、続いて四人の舞人が登場して『諸司舞(しょしまい)』となります。
歌の説明は以前、こちらに書いてましたね……

『槲酒歌』
今年は新人の方が加わっての『諸司舞』だそうで、二枚目の画像を見て頂ければ歴然?
本殿側の一臈二臈に比べますと、舞殿側の三臈四臈のポーズが何となく自信なさげ……(~_~;)
ベテランのお二人は、それこそ三十年のキャリアはあるでしょうか、私が南都楽所の舞楽を見始めた頃には、既に堂々と平舞を勤めておられましたからσ(^◇^;)

そして三枚目の画像が『槲酒歌』です。
まさに槲(柏)の葉を杯に直会の酒をいただき、四度の拍手を二回繰り返し、本殿に頭を下げて退出して行きました。
良いですねぇ~、こういう退出の仕方って(*^。^*)

『東遊』そして『東遊
例年は若宮社で行われるそうですが、今年も昨年に引き続き林檎の庭で行われました。
しつこく申しますと、春日大社では子供達が舞手です。

一見すると『和舞』とほとんど変わらない装束に見えますが、一番分かりやすいのは大刀でしょう、こちらはトラ皮のカバーはありません。
そして装束の文様も、こちらの方が多少とも華やかです。
『和舞』は衣にのみ松と鶴で袴は無地、『東遊』は笹竹に雉で衣にも袴にも入っています。
更には冠にかざしている枝も違います。
『和舞』は渋く榊の枝、『東遊』は精悍に桜の花です。

それにしても両端の一臈と二臈に比べると、真中の二人は可愛らしいですねぇ……まだ小学生でしょうね。

『諸司舞四段』林檎の庭での奉納が終わりますと、若宮社でも『和舞』奉納が行われます。
『前歌』と『槲酒歌』は変わりませんが、『神主舞』一曲と『諸司舞』二曲の曲目及び、舞人と歌方のメンバーが替わっています。

八曲ある『諸司舞』の四段以降は、こちらの画像のように右肩を脱いで舞いますので、変化があってチョッと素敵(^^ゞ
檜扇をかざして舞うのは『宮人曲』というのでしょうか、榊の枝を振り回す(?)のも厳粛でカッコいいですが、こちらは別の色気がありまして、私は結構好きです。

ところで今年は行儀良く神楽殿に座って見ていたので、チョッと柱などがお邪魔でしたわ。
昨年のように楽人の後ろの方から見ていた方が見やすかったかしらねぇ……σ(^◇^;)
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